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コラム

ジョニー広瀬wiki経歴!奇術人生55年 リング&シルクマジックは永遠に

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ジョニー広瀬wiki経歴!奇術人生55年 リング&シルクマジックは永遠に

マジシャンのジョニー広瀬さんは、長年にわたりマジック界で活躍し、関西マジック界の重鎮と呼ばれる方でした。いっとき脳梗塞で倒れましが、賢明なリハビリによって復帰していましたが、2023年8月26日に75歳という年齢で白血病のためお亡くなりになられました。

本記事では、ジョニー広瀬さんの基本プロフィールや経歴を振り返るとともに、彼の代表するマジックについて紹介します。

 

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ジョニー広瀬のwikiプロフィール

  • 名前 ジョニー広瀬
  • 本名 広瀬良雄
  • 生年月日 1948年3月22日-2023年8月26日
  • 出身地 大阪府大阪市
  • 所属 吉本興行
  • 職業 マジシャン
  • 身長/体重:171cm /75kg
  • 血液型:B型
  • 趣味:ゴルフ/マージャン

ジョニー広瀬さんは、1948年3月22日生れで、大阪府大阪市の出身。事務所は吉本興行で約20に年間所属していました。

ジョニー広瀬さんは、1人で出演するときもあれば、妻の霞(かすみ)さんとともに「ジョニー広瀬&霞」で活動することもありました。

また、マジックショップのディーラーなども経験しているマジシャンです。

2023年8月26日白血病で死去。75歳没。

 

ジョニー広瀬の経歴

ジョー広瀬さんが、マジックの世界に入るきっかけとなったのは、高校時代です。

当時、百貨店でマジックの実演販売をしていた、マジシャンのジミー忍さんの下でアルバイトをしました。

その後、ジミー忍さんのマジックショーを見たとき、あこがれを抱きマジックの世界に入ることになりました。

ジョニー広瀬さんは、ステージマジックやクロースアップマジックの分野で非常に腕前を持っていました。特に、手先の巧みさを活かしたスライハンドマジックが得意でした。

また、ステージマジックやイリュージョンマジックショーでは、妻の霞さんとともに「ジョニー広瀬&霞」と言う名前で活動することもありました

彼のオリジナルマジックは数多く、その技術は国内外で評価されています。

しかし、関西の地元では、彼の名前がどれほど知られているかは意外と知られていません。ジョニー広瀬さんのキャリアには、Mr.マリックさんという永遠のライバルが存在していました。

西のジョニー、東のマリックと呼ばれていました

コンテストでの対決では、マリックさんが唯一、広瀬さんにとっての大きな壁となっていたようです。

ここでは、2018年に、YouTubeのマジックランド公式チャンネルで行われた、ジョニー広瀬さんのインタビューをもとにまとめたものを紹介します。

 

ジョニー広瀬がマジックの世界で成功するまでの道のりプロフェッショナリズムについて

ジョニー広瀬さんは、プロマジシャンとしての成功を目指しながらも、多くの壁にぶつかった経験を持っています。

初めは、稼げるプロマジシャンが少ない現実に直面しました。

この厳しい状況から脱するためにまずはは百貨店でマジック商品の実演販売をするディーラーとして働き始めました。

この仕事は学びの場でもありました。

この時期には、多くのプロマジシャンが店に訪れていましたが、その服装があまりにもみすぼらしかったのが印象的です。

マジシャンという職業に対する理想と現実のギャップに、初めて気づいた瞬間でした。

もともと、広瀬さんは高校時代、プロマジシャンのジミー忍さんのディーラーブースで、アルバイトとして働いていました。

その後、ジミー忍さんのパフォーマンスを観た後、マジックの世界に本格的に足を踏み入れる決断を下しました。

広瀬さんは約10年間ディーラーとして活動を続けた後、大阪のプロダクションからプロデビューを果たします

さらに10年が経過し、大阪新地に自分のマジックバーをオープン。

その頃、吉本興業のオーディションを受け、合格を勝ち取りました。

広瀬さんは吉本興業に約20年間所属し、多くの舞台に立ちました。

特に注目すべきは、ギャラについて15年間交渉しなかったことです。

それは、舞台で演じるチャンスと技術の向上という機会があれば、、それで十分と考えていたからです。

ジョニー広瀬が考えるプロとアマの違い

プロとアマチュアの違いについて、広瀬さんは独自の見解を示します。

プロダクションに所属し、マネジャーが付き、ギャラが発生する状態が、本当の「プロ」だと彼は考えています。

一方で、自分で営業をして仕事を獲得している状態は、彼にとってはまだアマチュアに過ぎないと言います。

マジックの深化

ジョニー広瀬さんは、自身をマニア向けのマジシャンだと言います。

特に、マジックマニアを驚かせるような技を追求していました。

また、ジョニー広瀬さんが舞台で特に愛して演じるマジックが「ゾンビボール」です。

このマジックは、布を被せた金属の玉を空中に浮かせるというもので、一般にも販売されている商品です。

多くのアマチュアマジシャンが解説書通りに演じるこの技ですが、最初にその道具を手に入れたときは、それほど魅力を感じませんでした。

ある日、アメリカのマジシャンの「ゾンビボール」の演技を見て、ジョニーさん自身がその魅力に深く打たれました。

彼は、商品としての「ゾンビボール」を単なる基本としてとらえ、アメリカのマジシャンの演技を研究し、その上でさらなるアレンジや手順の改善を行っています。

これがプロとアマチュアの大きな違いだと彼は考えています。

一つの技を完成させるためには、15年から20年の歳月を要することも。

彼の場合、吉本の劇場での経験がその技を磨く大きな要因となっています。

実際、ジョニー広瀬さんは、吉本の劇場での連日の公演を通じて、多くの「練習・実践」の機会を得て技を磨き上げました。

これは、昔のプロマジシャンがキャバレーなどで経験を積んできたことと共通する点であります。

現代においては、そのような環境が減少してきていることを彼は残念に思っています。

さらに、彼が影響を受けたマジシャンとして「ジークフリート&ロイ」の名を挙げます。

特にホワイトライオンやホワイトタイガーを用いたマジックは、ラスベガスの舞台でのその表現力から多くを学ぶことができました。

失敗についても、ジョニーさんは率直に語っています。

彼自身が感じる小さな失敗や、観客にも明らかな失敗も経験してきましたが、それらの経験が彼の技をさらに深化させる要因となっています。

 

ジョニー広瀬氏が語る、Mr.マリックの影響と特異性

ジョニー広瀬さんは19歳、同年代であるMr.マリック氏が、素人寄席のコンテストに積極的に参加していたのを覚えています。

Mr.マリック氏の演技をみて、ジョニーさん自身、「名古屋にこんなにも優れたマジシャンがいるのか」と驚愕していたそうです。

二人はディーラー時代も一緒で会社で働いていました。

Mr.マリック氏が有名になり、大衆に名を馳せたときも、その卓越した才能には驚きを隠せなかったと言います。

特にMr.マリック氏の知識量と応用力は、他のマジシャンとは比較にならないほどでした。

何が観客にウケるのか、どのようなマジックが新しい感動を生むのか。Mr.マリック氏はこれを絶えず研究しており、その成果が現れていました。

ジョニー広瀬さんも、その方法論やアイデアには多くを参考にしたと語っています。

それは簡単なトリックであっても、その中に新たな視点やアプローチが垣間見えるのだとか。

まさにMr.マリック氏は、マジックに対する深い洞察力と独自の発想で、他の追随を許さない存在となっています。

ジョニー広瀬さんも含め、多くのマジシャンがそのスキルと創造性から多くを学ぶ機会を得ています。

インタビューの最後に

関西のマジック界を切り開いて、吉本興行に所属し、芸能界の中で戦い抜いてきました。

2018年7月にYouTubeのマジックランド公式チャンネルで公開されたインタビューの最後に、ジョニー広瀬さんは、このように締めくくっています。

この世界に入り、自分1人でやってきて、嫁もできて、子どももできて、家を買って、それなりの一通りことを全部ひとりでやってきた。それなりのことをやってきたつもりだけど、それ以上のことをやりたかったけど、できなかった。そこそこ幸せです。本当に、こんな良い職業に就けたなと思います。周りを楽しませる商売ですから、こんな良い商売ないですよ。

みなさんに喜んでいただいて、良いと思いました。

 

ジョニー広瀬 脳梗塞について

2008年には、突如として脳梗塞に見舞われ、リハビリの日々を過ごしました。

先ほど劇場の出番の合間に、阪神君とマネージャーの鈴木君とで、ジョニー広瀬さんのお見舞いに行ってきました、皆さんはご存知無いかも知れませんが、一月程前に脳梗塞で入院されて、今は毎日リハビリに頑張ってはります!写真は無いのですが、髭もそって短髪に成ってはって若返ってはりました、頑張れ広瀬!!。

オール巨人オフィシャルブログより

上記は、漫才コンビオール阪神・巨人の巨人さんのブログで書かれていた内容です。

 

しかし、彼の情熱はそこで止まらず、2011年には京橋花月でのイベントに参加。

その様子を見ていた、作家の百田尚樹さんがTwitterで、「三年前に脳梗塞になってリハビリ中のジョニーさんは右手しか動かないのに、見事なテーブルマジックを披露した。」と投稿しています。

さらに、なんばグランド花月での新喜劇などにも出演し、多くのファンを魅了し続けました。

 

しかし、2023年8月26日、彼は白血病のためこの世を去りました。享年75歳。彼の情熱と才能は、多くの人々にとって、忘れられない存在となっています。

ジョニー広瀬の訃報に有名マジシャンからもメッセージが

ジョニー広瀬さんのライバルであり大親友であった、Mr.マリックさんからもTwitter上でメッセージを送りました。

KiLaさんからもメッセージが投稿されています。

 

マジシャンの三志郎さんからのメッセージです。

高校生の時に地元沖縄のテレビ番組でご一緒させていただいた時、厳しそうな見た目とは裏腹にとても優しくアドバイスをいただきました。目標とするマジシャンのおひとりでした。ありがとうございました。

 

ムッシュ・ピエールさんからもメッセージが投稿されていました。

 

ジョニー広瀬のマジック受賞歴

2002年 ハンガリー特別賞を受賞

ジョニー広瀬さんは、2002年にハンガリーで開催された、国際サーカスフェスティバルに、ゲストパフォーマーとして出演した際に、特別賞を受賞しています。

 

ジョニー広瀬の弟子

・平松邦夫:前職は、毎日放送の元アナウンサーで大阪市長。「ジャニー平松」と名乗ってマジックを披露していた。

・瀧川一紀(たきがわかずのり):吉本工業所属のマジシャン

 

ジョニー広瀬 奇術人生55年出版

2022年3月に、日本が世界に誇るマジシャン、ジョニー広瀬さんの半世紀以上にわたるキャリアを凝縮した一冊が出版されました。

この本は、前半と後半で内容が大きく分かれています。

前半部分は、広瀬さんのオリジナルマジックがふんだんに収められていて、そのクオリティの高さには驚かされます。

後半は、広瀬さん自らが綴るエッセイと、彼と親しい人々からの寄稿で構成されています。この部分がまた、非常に興味深いです。広瀬さんがどのようにしてこの業界で成功を収めたのか、その過程が生き生きと語られています。

ちなみに、この寄稿エッセイでは、多くの有名マジシャンが実名で登場しています。

この本は、マジシャンだけでなく、広瀬さんの人間性や哲学に興味を持つすべての人にとって、非常に価値のある一冊と言えるでしょう。

■収録内容

西のジョニー東のマリック Mr.マリック

●オリジナルマジック編
コーヒータイム
切ったお札の復活
ダブルフェイス・クリアファイル
【ダブルフェイス・クリアファイルの作り方】
ミステイク ハーフカードの復活
カードの復活の新しい方法
トリプルショックプリディクション
インビジブルホール
ダブルホールダラーミステリー
トリプルプロダクションボックス
リールを使った結び目のほどけるハンカチ
リールを使ったリングとハンカチ リングとハンカチ (レギュラー版)
ニュー・トラベリングホール
アクションチェンジ
ムービングホール
フライング・マーク

●奇術人生の思い出
マジックとの出会い
弟子入りとディーラー時代 (1)
弟子入りとディーラー時代 (2)
弟子入りとディーラー時代 (3)
記憶に残るマジシャンたちとの良き時代
ディーラーからプロマジシャンへ

●寄稿編
一度だけのイリュージョン 赤松 洋一
ジョニー広瀬氏の印象的なマジック 石田 隆信
シンブル1個50円の付き合い 下田卓司
思えば長いお付き合い 庄野 勝吉
私が知り合った頃の広瀬良雄氏 福井 哲也
奇術師ジョニー広瀬つれづれ ブラック高木
広瀬さんとの出会い 益田克也
広瀬さんとの出会いがなかったら 宮島 昇
私がマジシャンになれた理由(わけ) 宮中 桂煥

 

ジョニー広瀬の魅力を凝縮した「リング&シルク」マジック

 

ジョニー広瀬さんが手がける「リング&シルク」は、まさに彼の技術と創造力が詰まった代表作と言えます。

この演技は、UGMというマジック専門店でレクチャーDVDとしても取り扱われています。

まず、広瀬さんはポケットからシルクを取り出し、結び目を作ります。

しかし、その結び目は軽く振るだけでほどけてしまいます。再び結び目を作ると、今度は何も触らずにシルクが自ら動き、結び目が解けてしまいます。

次に、胸ポケットからリングを取り出し、シルクを通します。

その瞬間、シルクはリングを貫通。さらに、リングを手から離しても、シルクは落ちずに浮かび続けます。

そして、合図とともにリングは上昇し、重力を無視したかのような動きを見せます。

その後、シルクを通したリングを横に引っ張ると、シルクは再び貫通。

さらに、リングを飛ばしてシルクに通すという驚きの演技も披露します。最後に、シルクの両端を持って一瞬で結び目を作るという、目を疑うような瞬間が訪れます。

この「リング&シルク」は、一見すると単純なアイテムから生み出される不思議な現象が連続し、観る者を驚かせます。

ジョニー広瀬さんの高度な技術と独自の発想が詰まったこのマジックは、彼の代表作として多くの人々に愛され続けています。

ジョニー広瀬wikiプロフ!奇術人生55年 リング&シルクマジックは永遠にのまとめ

今回は、マジシャンのジョニー広瀬さんについて紹介しました。

関西マジック界の第一人者として活躍したジョニー広瀬さんは、2008年に脳梗塞になりましたが、賢明なリハビリを続け、復帰されていました。

ところが、今回、白血病で75歳と言う若さでお亡くなりになられ、また1人マジック界の重鎮を失うことになりました。

彼のシルク&リングは永遠に代表作として残ることでしょう。

心よりご冥福をお祈りします。

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