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コラム

「あるよ」のセリフのゼンジ―北京、上方演芸殿堂入りで引退!?

更新日:

ゼンジ―北京のマジック

「タネも仕掛けもちょっとアルヨ」のセリフで有名なゼンジ―北京(ぺきん)さん。

コメディマジックの元祖。

2021年には、上方演芸の殿堂入りを果たしました。

ここでは、ゼンジ―北京さんのプロフィールや「あるよ」のセリフが生まれたきっかけ、引退説!?などを紹介します。

ゼンジ―北京

出典:https://wakopro.co.jp/talent/

 

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ゼンジー北京のプロフィール

芸名 ゼンジ―北京

本名: 渡辺 重信

生年月日: 1940年1月3日 (2021年現在で年齢 82歳)

出生地: 広島県 呉市

師 匠: ゼンジー中村

弟 子:  ゼンジー・一億、北京一・京二ほか

1958年にデパートのマジック売り場で、ディーラー兼実演販売をしていたゼンジー中村に弟子入りし

1963年に独立

デビュー当初は本名にちなんだ「ゼンジー渡辺」の芸名で活動

 

1984年第13回上方お笑い大賞にて金賞受賞

1985年芸能生活25周年の記念公演

2004年第39回大阪市市民表彰にて文化功労部門を受賞

2007年8月、心筋梗塞により緊急入院。「生存率2%」と言われた状態から奇跡的に回復し退院

2008年8月、日本奇術協会関西支部の初代支部長に就任

2021年10月26日、第24回上方演芸の殿堂入り名人に選定

 

人前で立つと上がってしまい上手くしゃべれないことから、舞台をこなせず悩んでいた。

事務所近くの中華料理店の店員のしゃべり方を真似るなどして、独特の会話口調を編み出し、あがり症を克服。

おしゃべりを取り入れたコミカルな手品の第一人者である。

 

ゼンジ―北京のセリフ

ゼンジ―北京さんのセリフの特徴は、語尾に「あるよ」をつけることであるよ。

「タネも仕掛けもちょっとアルヨ」

「ヨークミテチョウダイ」

「ワタシ中国は広島の生まれアルヨ」

など、片言の日本語で話します。

 

2021年(令和2年度)上方演芸殿堂入り

上方演芸の殿堂入りとは、上方演芸の発展と振興に特に大きな役割を果たし、広く大阪府民から愛し親しまれた方で、後進の目標となる方を対象に選考されています。

平成8年度から始まり第1回目は、三代目 吉田奈良丸(ヨシダ ナラマル)浪曲師が受賞。

 

ゼンジ―北京2021年 第24回上方演芸の殿堂入り 引退発言も!?

ゼンジ―北京上方演芸殿堂入り

これまで、落語家、漫才師、腹話術や浪曲といった分野が多かったが、手品は初めての受賞。

ゼンジ―北京さん、当時81歳。

そこで衝撃的な発言を!

それは・・・

「今後もう手品はやりません」と発言

年齢が81歳であり、殿堂入りとなれば、引退宣言もありうると考えられます。

しかしその発言の雰囲気からして、額面どおりとはとらえられにくい。

その理由は、2020年来のコロナ禍が影響を及ぼしているようです。

コロナにより寄席の仕事がほぼなくなったことから、2年以上も舞台に上がっていない。

ゼンジー北京さんは芸歴40年、さらに年齢が81歳。

そうなると、引退するには良いタイミングと考え、手品の道具も大きいものは捨てた」と告白。

しかし、「引退」という言葉にどこか違和感があった。

というのも、声の張りは変わらずあり、肌の色も良い。

2007年に、生死をさまよう大病を患っている。

当時67歳だった。

その時以来、健康に気を使うようになった。

具体的にいうと、酒、タバコを控えるようになった。

4時に起床、5時に朝食、6時にウォーキング

という日課である。

インタビューでは、

「舞台の依頼があれば」、決して断るような感じではなく「そらあるかもしれんな」と言う。

「プロやから家で練習しないと」という発言!

から、まだまだ完全引退とはいえず、復帰も考えられる。

 

ゼンジー北京の芸風の誕生のきっかけ

ゼンジ―北京の芸風

ゼンジ―北京さんの芸風といったら、「手品と話芸」

おしゃべりというよりはもう、芸の領域なので「話芸」と言えます。

しかし、この「話芸」誕生も意外な面から生まれた。

1958年にゼンジー中村さんに弟子入り。

ゼンジ―北京さんは、自分なりのスタイルを模索を始めていた。

当時のマジックは、BGMをかけながら黙々とやるのが主流だった中で、おしゃべりをしながらマジックをするマジシャンはいなかった。

 

そこで、マジックにおしゃべりを取り入れようと、目のつけどころは良かった。

しかし、もともと人前に立つとうまくしゃべれないほどの極度のあがり症だった。

うまいしゃべりができないことから、それをごまかすために片言の日本語を取り入れた。

口から出まかせばっかりだったが、お客さんが喜んでくれた。

片言の日本語で、中国の服を着て、まちがったことも全部ギャクにしていた。

ゼンジ―北京さんの生まれが広島だったことから、私、中国(地方)の広島生まれ)というギャグもそんな流れから生まれたという。

 

ゼンジー北京のマジック

フジテレビ放送の芸能人今でもスゴい!懐かしの100人すべて見せます生放送SP(2014年1月7日)に登場して、マジックを披露してくれました。

ゼンジー北京さん2014年の当時で、75歳。

現役のプロマジシャンとしては最高齢です

久しぶりにゼンジー北京さんのマジックをみました。

なんとなく、ほっとしますね。

マギー一家系と同じで、少々の失敗しても許されるコメディマジックです。

ゼンジ―北京さんは、コメディマジックの先駆者です。

本当のオチを作るところでは絶対に失敗は許されないのですが、だからこそ笑いをつくることができるのです

ゼンジー北京さん、最初は軽いマジックの種明かしから。

うすい細い鉄板で出来たリングを持ったゼンジー北京さんが、体ごと回転すると、四角い形に変わります。

これを数回繰り返して、種明かし。

「こんな手品ばっかりよー」、と言いながら次のマジックに移ります。

これで、お客さんをひきつけるとともに、油断させます

白いうさぎと黒いうさぎをテーブルの上に置きました。

この2匹のうさぎにカバーをかけると、右と左が入れ替わって、しまいます。

ゼンジー北京さんは、話をしながら、うさぎの裏表を変えていたのです。

表側が白色のウサギ、裏側が黒色のウサギになっていて明らかに、裏がえしているのが分かります

これを何度か繰り返した後、再び、うさぎにカバーをかけて、もう一度見せると、表が赤色のウサギに、そして裏が黄色のウサギに変わってしまいました。

素晴らしいトリックです。

サッカートリックです

サッカートリックとは、失敗したあとに、実は成功した、という現象であったり、あからさまにタネが分かるような手品を見せながら、最後は大どんでん返しを行うマジックのことです。

このようなベタなマジックはトークがうまくなければできないな、と思います。

そして、落ち着きと安定感ですね。

絶対に照れないで、真剣に行えばおこなうほど笑いがとれるものだと思います。

 

ゼンジ―北京の動画

この動画は、平成8年の頃のゼンジ―北京さんのマジック動画です。

金属の丸いリングが、四角形に変わるマジック(42秒あたりからです)や、ウサギのマジック(1分10秒あたりからです)が披露されています。

 

次は、平成29年(2017年)頃の動画です。まだまだ元気ですね。

 

香取慎吾の「天声慎吾」でマジック指導も

1998年頃に、「天声慎吾」というテレビ番組がありました

香取慎吾ちゃんが、王子と呼ばれていた番組です。

慎吾ちゃん、アマノッチ、ウッディーの3人が、ゼンジー北京さんに弟子入りして、マジックを極めるコーナーでした。

ここで、ゼンジー北京さんが彼らに教えたことの一つにすごく大切なことをアドバイスしていました。

それは。「絶対にテレ笑いしてはいけない」、ということでした。

これは今でも私にも記憶が残っています。

自分がマジックをするときも、テレ笑いは控えています。

真面目な顔をして面白いことを言うことで、ウケることができます

 

ゼンジー北京引退は本当なのか?

ゼンジ―北京さんの手品をもう一度おさらいしてみると・・・

  • 片言の日本語でおしゃべりマジック
  • 手品は意図的な失敗なのか?判別が困難
  • 種明かしをしながらも最後は、裏をかいて不思議に終わらせる

こんな手品師なだけに、殿堂入りしたから引退と言っていましたが、「引退」そのものも、額面どおりに受け取ってよいのかどうかは疑問ですね。

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